にほんめ。
先日岩合さんのネコ写真展の時に誰か一緒に観に行かんかやとゆっていた映画です。
これは高校美部仲間のMさんと観てきました。
アニメーションと実写が交互に展開してゆくフランスのドキュメンタリでした。
ヒロインが飼い猫「クロ」を探して19世紀にタイムスリップし、当時の「自由の象徴としてのネコ」から現在の「消費の為に利用されるネコ」へと移行していく過程を辿り、最後にふらりとクロが帰って来る、という構成。
美術界で「飾り」程度でえがかれていたネコが欧米での浮世絵(広重)ブームに乗じて一気に絵画モチーフの主役となり、ネコブームが到来。
しかしネコブームの火付けとなった日本では、水俣病の第一犠牲者として多くのネコが狂死していた。
水俣病の原因とされた会社「チッソ」は900匹のネコを捕まえ独自の研究によって長年垂れ流していた水銀が奇病の原因であると突き止め、「我が社は無関係」という嘘の結果をでっち上げ、揚句原告の患者達の事を「金欲しさに我が社を陥れようとしている」と中傷する始末。
水俣病患者の証言を交え、当時の中毒症状に苦しむネコ達の映像、人の映像が流れる。
この下りは本当にむなくそ悪くなります、利益の為に地元住民やネコを犠牲にして無視を決め込む企業くたばれ! おまえらで水銀飲んで人体実験してろ! みたいなやり場のない怒りがこみ上げます。
クロがふらりと現われ、舞台は現在に。
廃線間際の駅を救った駅長猫「たま」の登場。
ペット大国ニッポンで商品として利用されるネコ、「自由気ままさが良い」と言われながらも去勢されて外に出してもらう事の一生ないであろうネコカフェで飼われているネコ、上野公園でホームレスと共に生活する野良猫、無責任な飼い主によって捨てられた路地裏のネコ、そして保健所で毎日殺処分される600匹の子ネコたち・・・
さらに舞台は北ヨークシャーに移って国鉄時代に200匹のネコがネズミ退治の為に”雇われて”いたが、民営化にあたり”ペットはいらない”と、人と一緒にリストラされたネコたちの話、「鉄道史はネコと共にある」と言って利益よりも自分たちが好きな鉄道の仕事を続けたいと働く鉄道員とネコ・・・
「キャットカム」をつけて飼い主に監視されるネコと、四六時中監視カメラでプライバシィを見られ続ける人間。
「キャットハウス(=売春宿の隠語)」でゆきずりの客と一夜を過ごすネコ。
ネコって自由とか、きまぐれとか言われてるけど、こんなにも人間の良いように利用されてるじゃないかって思い知らされました。多かれ少なかれ、私もネコを商売に利用(といっても全然売れてないし無名なんだけど)しようとしている身なので、なんてゆうかこう、罪悪感というか、居た堪れない気持ちになりました。
迂闊に「猫飼いたい!」なんて言いません、いやまじで。汚いペット産業に騙されるものか!
人間に自由を奪われ、そのくせ「自由きまま」などと言われるネコに御免なさい感がイッパイになった頃、認知症患者の最期を看取るネコ、オスカーが登場。
病室をふらりふらりと歩きまわり、患者の死期を察知し最期の瞬間まで傍にいるという不思議な能力を持ったオスカー。
認知症患者の病院って、遠野物語のでんでら野みたいな所の気がしてならん。手に余って、捨てられた感じがする(でんでら野は姥捨ての場所ですよね確か・・・)認知症患者さんたちには現在を忘れてしまっていても、過去がある、その過去を介護士が理解し、触れて、コミュニケーションし、患者さんを一人の人間として接する、みたいな事を院長ぽい人がゆってて、なんかネコ関係なくなってきてるなと思いながらも自分もいつか”今”を記憶出来なくなって”過去”に生きるようになってしまう日が来るかもしれないとか何故か臨床心理学を学んでいた日々を思い出したり(認知症とかについても浅く学んでいたのである、あんまり覚えてないけど)して泣きそうになる。涙腺弱過ぎる。
そうそう、ネコの方が人間よりも認知症になる確率が高いそうです。
なんにせよ、忘れられてしまうというのは哀しい事です。近しい人物なら尚更。
ネコがだいすきで、ネコに御洒落させたりネコカフェに通いつめたりして独り善がりな満足感に浸っている人には受け入れられない部分もあると思うけど(殺処分の下りではなく。ペット大国ニッポンに痛烈なアイロニがお上品にぶちまけられている感じがしたので)、ヒトとネコの関係を見直す為に観ても良いんじゃないかなと思います。
名演小劇場で10/1まで上映中です。
先日岩合さんのネコ写真展の時に誰か一緒に観に行かんかやとゆっていた映画です。
これは高校美部仲間のMさんと観てきました。
アニメーションと実写が交互に展開してゆくフランスのドキュメンタリでした。
ヒロインが飼い猫「クロ」を探して19世紀にタイムスリップし、当時の「自由の象徴としてのネコ」から現在の「消費の為に利用されるネコ」へと移行していく過程を辿り、最後にふらりとクロが帰って来る、という構成。
美術界で「飾り」程度でえがかれていたネコが欧米での浮世絵(広重)ブームに乗じて一気に絵画モチーフの主役となり、ネコブームが到来。
しかしネコブームの火付けとなった日本では、水俣病の第一犠牲者として多くのネコが狂死していた。
水俣病の原因とされた会社「チッソ」は900匹のネコを捕まえ独自の研究によって長年垂れ流していた水銀が奇病の原因であると突き止め、「我が社は無関係」という嘘の結果をでっち上げ、揚句原告の患者達の事を「金欲しさに我が社を陥れようとしている」と中傷する始末。
水俣病患者の証言を交え、当時の中毒症状に苦しむネコ達の映像、人の映像が流れる。
この下りは本当にむなくそ悪くなります、利益の為に地元住民やネコを犠牲にして無視を決め込む企業くたばれ! おまえらで水銀飲んで人体実験してろ! みたいなやり場のない怒りがこみ上げます。
クロがふらりと現われ、舞台は現在に。
廃線間際の駅を救った駅長猫「たま」の登場。
ペット大国ニッポンで商品として利用されるネコ、「自由気ままさが良い」と言われながらも去勢されて外に出してもらう事の一生ないであろうネコカフェで飼われているネコ、上野公園でホームレスと共に生活する野良猫、無責任な飼い主によって捨てられた路地裏のネコ、そして保健所で毎日殺処分される600匹の子ネコたち・・・
さらに舞台は北ヨークシャーに移って国鉄時代に200匹のネコがネズミ退治の為に”雇われて”いたが、民営化にあたり”ペットはいらない”と、人と一緒にリストラされたネコたちの話、「鉄道史はネコと共にある」と言って利益よりも自分たちが好きな鉄道の仕事を続けたいと働く鉄道員とネコ・・・
「キャットカム」をつけて飼い主に監視されるネコと、四六時中監視カメラでプライバシィを見られ続ける人間。
「キャットハウス(=売春宿の隠語)」でゆきずりの客と一夜を過ごすネコ。
ネコって自由とか、きまぐれとか言われてるけど、こんなにも人間の良いように利用されてるじゃないかって思い知らされました。多かれ少なかれ、私もネコを商売に利用(といっても全然売れてないし無名なんだけど)しようとしている身なので、なんてゆうかこう、罪悪感というか、居た堪れない気持ちになりました。
迂闊に「猫飼いたい!」なんて言いません、いやまじで。汚いペット産業に騙されるものか!
人間に自由を奪われ、そのくせ「自由きまま」などと言われるネコに御免なさい感がイッパイになった頃、認知症患者の最期を看取るネコ、オスカーが登場。
病室をふらりふらりと歩きまわり、患者の死期を察知し最期の瞬間まで傍にいるという不思議な能力を持ったオスカー。
認知症患者の病院って、遠野物語のでんでら野みたいな所の気がしてならん。手に余って、捨てられた感じがする(でんでら野は姥捨ての場所ですよね確か・・・)認知症患者さんたちには現在を忘れてしまっていても、過去がある、その過去を介護士が理解し、触れて、コミュニケーションし、患者さんを一人の人間として接する、みたいな事を院長ぽい人がゆってて、なんかネコ関係なくなってきてるなと思いながらも自分もいつか”今”を記憶出来なくなって”過去”に生きるようになってしまう日が来るかもしれないとか何故か臨床心理学を学んでいた日々を思い出したり(認知症とかについても浅く学んでいたのである、あんまり覚えてないけど)して泣きそうになる。涙腺弱過ぎる。
そうそう、ネコの方が人間よりも認知症になる確率が高いそうです。
なんにせよ、忘れられてしまうというのは哀しい事です。近しい人物なら尚更。
ネコがだいすきで、ネコに御洒落させたりネコカフェに通いつめたりして独り善がりな満足感に浸っている人には受け入れられない部分もあると思うけど(殺処分の下りではなく。ペット大国ニッポンに痛烈なアイロニがお上品にぶちまけられている感じがしたので)、ヒトとネコの関係を見直す為に観ても良いんじゃないかなと思います。
名演小劇場で10/1まで上映中です。
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