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伯備線の清―駅でおりて、ぶらぶらと川―村のほうへ歩いて来るひとりの青年があった。

――これが『本陣殺人事件』で初めて金田一耕助という探偵に関して書かれた一文である。
その『本陣殺人事件』が執筆された地、真備町岡田字桜に行って来た。
最寄駅である清音駅からは迷う自信があったのでタクシーに乗る。運転手さんの生岡山弁に静かに興奮。
「去年の10月に金田一耕助の格好をした沢山の人達がこの駅から疎開宅までパレードしててねぇ、壮観だったよ」
との事。それちょう参加したい!!(スバルタ憧れのコスプレは金田一とホームズなのである。だって明智小五郎じゃ神津恭介と区別つかないジャン!)
徒歩だと30分以上掛かる道程も1090円であっと言う間に到着。
 
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横溝正史疎開宅

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おお、表札!!

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おお、金田一さん!!
中に入ると二人のおばあちゃんが。当番制で管理されているようです。
お茶とマスカット(岡山の特産品)を出して頂きました。うまーい。
んで、おばあちゃんがスイッチを押すと

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金田一耕助のシルエットが浮かび、疎開当時の横溝さんの説明が流れます。
他にも色々な史料が展示されています。

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横溝さんの執筆部屋。右が長男さんの勉強部屋。今は金田一のシルエットの仕掛けが設置されている。

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横溝さんが着ていた着物。横溝さんが亡くなった時、一番親しくしていた加藤一さんが形見分けで貰ったものを寄贈して戴いたそうです。
お話を伺ったおばあちゃんは他所の土地から嫁いできたので当時の横溝さんの事は全然知らないそうですが、お姑さんから色々話を聞いていて、それを私たちに伝えてくれています。

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横溝さんが座っていた庭の岩。
庭は、観光客用に駐車スペースを作る都合で少し狭くなったらしいが、当時と殆ど変っていないとの事。
「去年沢山の金田一の格好をした人達がここに来てねぇ、今年も来るみたいでねぇ」
横溝正史の生家(神戸)よりも、晩年の地(東京)よりも、金田一耕助というキャラクタが生まれたこの土地が、ファンにとっての聖地なのだろう。

他にも手作り感イッパイの史料たち。

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当時の写真と、サイン。多分役者さんか監督さんの(読めなかった・・・)

どうやって帰るのか聞かれ、歩いて川辺宿駅に行こうと思ってます、でも地図ないのでどこへ向かえば良いのか判りません。と答えると、
「あの小屋を右にずっと行って、カーブミラーがある十字路を左にずっと行くとふるさと歴史館があるから、そこなら多分地図置いてあるからそこ行くと良い」
と教えられたのでそうする事に。
「あの小屋の左に「濃茶のばあさん」の祠があるから。それをずっと行くと有名な千光寺があるよ。ここへ来た人は皆そこ行きなさる」
「濃茶のばあさん」も「千光寺」も横溝作品に出てくる人物やお寺のモデルとなったものです。
私は暑さに負けたので今回はお寺には行きませんでした・・・次リベンジ!

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濃茶のばあさんの祠。
この祠の右には有名な「耕助岩」と呼ばれる、横溝さんが散歩の途中で良く座っていた長方形の岩があるのだけど、うっかりしすぎていて写真撮ってません、座ってもいません。私のばか!!

おたく的にディープないちにちだったので後編に続く・・・

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寝ても覚めてもミステリが好き。最近はもっぱら「探偵小説」ブームで新しい作家さんを良く知らない。
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