[創作篇]
・十八号室の殺人/遠山はアパートの一室で服毒死した。現場には鍵が掛かっており自殺と思われたが、郷里の岡山から出てきた父親と会う約束をしていたと言う。更に、彼が死んで二日後、生家に遺書が届いたが、自殺の原因と思われるような事は書かれておらず、漠然としたものだった。事件から八日後、遠山と同じアパートに住む私を訪ねてきた嶺口(みねぐち)は、遠山の自殺に疑問があると切り出した…
→本名の光石太郎名義で1931年発表したデビュー作。介太郎唯一の本格物(しかも密室!)。素人探偵にどんどん追い詰められていく私だが、何だが他人事みたいだなーと思っていたら…!
・霧の夜/嵩張った新聞紙の包みを大事そうに抱えて歩く男。私が話しかけると、男は「ひとを殺すってことは淋しい事ですね」と答えた…
→1935年発表。幻想・怪奇。
・綺譚六三四一/偶然出会った婦人の窮地を救った私は、お互いの素性を明かさないまま翌日再会する約束をした。指定された時間に店へ行ったが半時間待っても迎えは来なかった。骨休めに店を出ると、ナンバー六三四一の車が私を呼び止めた…
→1935年発表。冒険譚。
・梟(ふくろ)/永らく空き家になっていた赤屋根の家を借りた室井という男。地続きになっている森には無数の梟が巣喰っているという話だが、室井が越してきた日は梟の鳴き声の代わりに一晩中チェロの音が聞こえていた。翌日の夜、室井は梟の鳴真似をしながら歩く男に出会った。その男は、以前この家にいた住人の話をはじめ…
→1935年発表。怪談ぽい。
・空間心中の顛末/久地生馬(くじいくま)は、妻の嬰子(ようこ)が不倫をしている事を知ると、彼女を土蔵に閉じ込めた。不倫相手の末(すえ)が久地の家の周りをうろついていると、女中から手紙を渡された。女中を介し、雑誌を利用してやり取りする嬰子と末。二人は打ち合わせて同日同時刻に自殺しようと計画する…
→1935年発表。
・皿山の異人屋敷→1937年発表。怪奇。
・十字路へ来る男→1937年発表。交通事故で妻を失った男の復讐譚。
・魂の貞操帯→1938年発表。愛する男に捨てられた女が、男を呪い殺したという伝説をベースにした作品。新進作家傑作集に指名されたが書いては水谷準から没をくらい、乱歩にも檄を飛ばされ三作書いてようやくOK出たのがこの作品だったそーな。
・基督(きりすと)を盗め/仕事もなく無一文の照山は、老紳士から二千円の報酬と引き換えに、ある屋敷から細長い円筒型のものを盗む事になった。目的の物を見付け、逃げ出そうとした時、家人に見付かり格闘したが、相手は盗みを依頼した老紳士だった。翌日、盗んだ物を渡す為に訪れた場所で待っていた女性から、老紳士が殺されたと聞かされ疑われている事を知り…
→1939年発表。鶏山文作名義。大団円。
・類人鬼/金貸業の非道さに耐え兼ねて逃げた母を憎み、世の女性全てを呪っていた父は、死の間際、私に対して最も愛する女を見付かったらその女に復讐をしなければ財産は譲らないと遺言した。私は三年の年月を経て理想の女性を見付けた…
→1939年発表。『新青年』の文体模写特集に掲載されたもの。これは乱歩の模写らしいけど、私乱歩あんまり読んでないからそっくりかドウかは判らない…鶏山文作名義。
・秘めた写真/十四歳でヨーロッパへ渡りバレエの女王となった幼馴染と結婚するに相応しいよう、楽器会社を興して成功していた譲次は彼女に求婚した。しかし彼女には既にヨーロッパに恋人がいると打ち明けられ…
→1939年発表。鶏山文作名義。むなしい…
・鳥人(リヒトホーフェン)誘拐→1939年発表。鶏山文作名義。小栗虫太郎から「これをタネに一つ書いてみろ」と言われて書いたもの。とのこと。1918年、ドイツ軍のマンフレッド・リヒトホーフェン大尉の戦死について。
・遺書綺譚→1939年発表。鶏山文作名義。ユーモア。
・廃墟の山彦(エコオ)/三人の画家が素人モデルを募集した。採用された女は、何か普通の精神状態ではないようで…
→1949年発表。鷄(右が'‘隹”)山稲平名義。
・吸血鬼→1935年発表。ショートショート。
・ぶらんこ/F教授が体験した群集心理の話…
→1959年発表。青砥一二郎名義。自ら夫婦間の交渉を絶ったのに浮気する夫を恨んで復讐する妻の話を聞く若き日の教授たち…からの一転してホラー!
・豊作の頓死/部落で唯一日蓮宗妙光寺の信徒ではない豊作が頓死した。豊作は部落の嫌われ者だった。数百万円は貯め込んでいると噂され、家探ししたがびた一文も出てこなかった。やす江という後家が豊作の家を出入りしていたことから彼女が金を盗んだのではないかと噂を立てられていると知った妙光寺の住職は、寺男に話を聞いてみると…
→1959年発表。青砥一二郎名義。第20回読売短編小説入選作。意外と強い(物理)住職と、意外と切れ者の寺男(元悪人)コンビ、続編とかあったら面白そうだなー。
・大頭(だいもんじゃ)の放火→1960年発表。青砥一二郎名義。第22回読売短編小説入選作。自分の家ごと男女三人を焼き殺した男の話。なかなか、ものすごい話だよ…
・死体冷凍室→1961年発表。青砥一二郎名義。主人公視点で、ヤクザな男の愛人と共に破滅の道を進んでいく話なんだけど、主人公の正体が明らかになったところで物語の印象が変わるのがすごい。
・あるチャタレー事件→1962年発表。泥棒に入られ妻の貞操も奪われたのではと疑う男と、妻の従姉で男を誘惑する女の話。
・船とこうのとり/クリスマスイブの夜、画家の岩佐真理子が殺された。一か月後に犯人は逮捕されその後病死した。四月のはじめ、僕は婚約者から婚約破棄を申し入れられた。その原因はどうやら岩佐家で行われたクリスマスパーティの夜に関係するらしい…
→1962年発表。青砥一二郎名義。なんだこの主人公むかつくな…しかし意外な探偵のキャラはなかなか良い。
・三番館の蒼蠅/ドロドロに腐った死体と新しい二つの死体を土に埋めて一息ついた思いでタバコを喫いはじめた俺。この事件の経緯(いきさつ)を手記に書き残して、死体と一緒に埋めておこうと思う…
→1975年発表。光石介太郎名義。上海へ飛び、ソ連軍の捕虜生活の末に日本へ帰った弟(先に生まれた)が、財産と美しい妻を手に入れていた兄(後に生まれた※昔の双子は、後から出てきた方を長子とした)に嫉妬し、兄の精神を破壊して彼と入れ替わろうと企む話。オチが虚しい…
[評論・随筆篇]
作者の言葉(「奇譚六三四一」)/無題/YDN(ヤンガー・ディテクティブ・ノーべリスト)ペンサークルの頃/私の探偵小説観/靴の裏――若き日の交友懺悔/名軍師と名将たち/ハガキ回答
→乱歩に金の無心をし、水谷準には原稿料前借をしたとかゆう貧乏ネタが多い。
みついし・かいたろう(1910-1984)
福岡県生まれ。本名・光石太郎。別名・鶏山文作(とりやま・ぶんさく)、鷄(右が'‘隹”)山稲平(とりやま・いなへい)、青砥一二郎(あおと・いちじろう)。
二卵性双生児として生まれたため、福原家から岡山の親戚光石家に養子に出される。東京外国語大学ポルトガル語科に入学するも学費が払えず中退。
1931年、本名で「十八号室の殺人」を『新青年』に発表しデビュー。上京後は江戸川乱歩に師事。YDNペンサークルを結成し、若い作家たちと交流した。戦後は青砥一二郎名義で創作活動を続けた。
75年、光石介太郎名義で『幻影城』に「三番館の蒼蠅」を発表。84年死去。
・十八号室の殺人/遠山はアパートの一室で服毒死した。現場には鍵が掛かっており自殺と思われたが、郷里の岡山から出てきた父親と会う約束をしていたと言う。更に、彼が死んで二日後、生家に遺書が届いたが、自殺の原因と思われるような事は書かれておらず、漠然としたものだった。事件から八日後、遠山と同じアパートに住む私を訪ねてきた嶺口(みねぐち)は、遠山の自殺に疑問があると切り出した…
→本名の光石太郎名義で1931年発表したデビュー作。介太郎唯一の本格物(しかも密室!)。素人探偵にどんどん追い詰められていく私だが、何だが他人事みたいだなーと思っていたら…!
・霧の夜/嵩張った新聞紙の包みを大事そうに抱えて歩く男。私が話しかけると、男は「ひとを殺すってことは淋しい事ですね」と答えた…
→1935年発表。幻想・怪奇。
・綺譚六三四一/偶然出会った婦人の窮地を救った私は、お互いの素性を明かさないまま翌日再会する約束をした。指定された時間に店へ行ったが半時間待っても迎えは来なかった。骨休めに店を出ると、ナンバー六三四一の車が私を呼び止めた…
→1935年発表。冒険譚。
・梟(ふくろ)/永らく空き家になっていた赤屋根の家を借りた室井という男。地続きになっている森には無数の梟が巣喰っているという話だが、室井が越してきた日は梟の鳴き声の代わりに一晩中チェロの音が聞こえていた。翌日の夜、室井は梟の鳴真似をしながら歩く男に出会った。その男は、以前この家にいた住人の話をはじめ…
→1935年発表。怪談ぽい。
・空間心中の顛末/久地生馬(くじいくま)は、妻の嬰子(ようこ)が不倫をしている事を知ると、彼女を土蔵に閉じ込めた。不倫相手の末(すえ)が久地の家の周りをうろついていると、女中から手紙を渡された。女中を介し、雑誌を利用してやり取りする嬰子と末。二人は打ち合わせて同日同時刻に自殺しようと計画する…
→1935年発表。
・皿山の異人屋敷→1937年発表。怪奇。
・十字路へ来る男→1937年発表。交通事故で妻を失った男の復讐譚。
・魂の貞操帯→1938年発表。愛する男に捨てられた女が、男を呪い殺したという伝説をベースにした作品。新進作家傑作集に指名されたが書いては水谷準から没をくらい、乱歩にも檄を飛ばされ三作書いてようやくOK出たのがこの作品だったそーな。
・基督(きりすと)を盗め/仕事もなく無一文の照山は、老紳士から二千円の報酬と引き換えに、ある屋敷から細長い円筒型のものを盗む事になった。目的の物を見付け、逃げ出そうとした時、家人に見付かり格闘したが、相手は盗みを依頼した老紳士だった。翌日、盗んだ物を渡す為に訪れた場所で待っていた女性から、老紳士が殺されたと聞かされ疑われている事を知り…
→1939年発表。鶏山文作名義。大団円。
・類人鬼/金貸業の非道さに耐え兼ねて逃げた母を憎み、世の女性全てを呪っていた父は、死の間際、私に対して最も愛する女を見付かったらその女に復讐をしなければ財産は譲らないと遺言した。私は三年の年月を経て理想の女性を見付けた…
→1939年発表。『新青年』の文体模写特集に掲載されたもの。これは乱歩の模写らしいけど、私乱歩あんまり読んでないからそっくりかドウかは判らない…鶏山文作名義。
・秘めた写真/十四歳でヨーロッパへ渡りバレエの女王となった幼馴染と結婚するに相応しいよう、楽器会社を興して成功していた譲次は彼女に求婚した。しかし彼女には既にヨーロッパに恋人がいると打ち明けられ…
→1939年発表。鶏山文作名義。むなしい…
・鳥人(リヒトホーフェン)誘拐→1939年発表。鶏山文作名義。小栗虫太郎から「これをタネに一つ書いてみろ」と言われて書いたもの。とのこと。1918年、ドイツ軍のマンフレッド・リヒトホーフェン大尉の戦死について。
・遺書綺譚→1939年発表。鶏山文作名義。ユーモア。
・廃墟の山彦(エコオ)/三人の画家が素人モデルを募集した。採用された女は、何か普通の精神状態ではないようで…
→1949年発表。鷄(右が'‘隹”)山稲平名義。
・吸血鬼→1935年発表。ショートショート。
・ぶらんこ/F教授が体験した群集心理の話…
→1959年発表。青砥一二郎名義。自ら夫婦間の交渉を絶ったのに浮気する夫を恨んで復讐する妻の話を聞く若き日の教授たち…からの一転してホラー!
・豊作の頓死/部落で唯一日蓮宗妙光寺の信徒ではない豊作が頓死した。豊作は部落の嫌われ者だった。数百万円は貯め込んでいると噂され、家探ししたがびた一文も出てこなかった。やす江という後家が豊作の家を出入りしていたことから彼女が金を盗んだのではないかと噂を立てられていると知った妙光寺の住職は、寺男に話を聞いてみると…
→1959年発表。青砥一二郎名義。第20回読売短編小説入選作。意外と強い(物理)住職と、意外と切れ者の寺男(元悪人)コンビ、続編とかあったら面白そうだなー。
・大頭(だいもんじゃ)の放火→1960年発表。青砥一二郎名義。第22回読売短編小説入選作。自分の家ごと男女三人を焼き殺した男の話。なかなか、ものすごい話だよ…
・死体冷凍室→1961年発表。青砥一二郎名義。主人公視点で、ヤクザな男の愛人と共に破滅の道を進んでいく話なんだけど、主人公の正体が明らかになったところで物語の印象が変わるのがすごい。
・あるチャタレー事件→1962年発表。泥棒に入られ妻の貞操も奪われたのではと疑う男と、妻の従姉で男を誘惑する女の話。
・船とこうのとり/クリスマスイブの夜、画家の岩佐真理子が殺された。一か月後に犯人は逮捕されその後病死した。四月のはじめ、僕は婚約者から婚約破棄を申し入れられた。その原因はどうやら岩佐家で行われたクリスマスパーティの夜に関係するらしい…
→1962年発表。青砥一二郎名義。なんだこの主人公むかつくな…しかし意外な探偵のキャラはなかなか良い。
・三番館の蒼蠅/ドロドロに腐った死体と新しい二つの死体を土に埋めて一息ついた思いでタバコを喫いはじめた俺。この事件の経緯(いきさつ)を手記に書き残して、死体と一緒に埋めておこうと思う…
→1975年発表。光石介太郎名義。上海へ飛び、ソ連軍の捕虜生活の末に日本へ帰った弟(先に生まれた)が、財産と美しい妻を手に入れていた兄(後に生まれた※昔の双子は、後から出てきた方を長子とした)に嫉妬し、兄の精神を破壊して彼と入れ替わろうと企む話。オチが虚しい…
[評論・随筆篇]
作者の言葉(「奇譚六三四一」)/無題/YDN(ヤンガー・ディテクティブ・ノーべリスト)ペンサークルの頃/私の探偵小説観/靴の裏――若き日の交友懺悔/名軍師と名将たち/ハガキ回答
→乱歩に金の無心をし、水谷準には原稿料前借をしたとかゆう貧乏ネタが多い。
みついし・かいたろう(1910-1984)
福岡県生まれ。本名・光石太郎。別名・鶏山文作(とりやま・ぶんさく)、鷄(右が'‘隹”)山稲平(とりやま・いなへい)、青砥一二郎(あおと・いちじろう)。
二卵性双生児として生まれたため、福原家から岡山の親戚光石家に養子に出される。東京外国語大学ポルトガル語科に入学するも学費が払えず中退。
1931年、本名で「十八号室の殺人」を『新青年』に発表しデビュー。上京後は江戸川乱歩に師事。YDNペンサークルを結成し、若い作家たちと交流した。戦後は青砥一二郎名義で創作活動を続けた。
75年、光石介太郎名義で『幻影城』に「三番館の蒼蠅」を発表。84年死去。
PR